History

 

創業明治40年 110年の歴史を持つ広島随一の写真館

創業者 榎本太一

(株)榎本写真館は明治40年2月初代 榎本太一によって広島市中区研屋町(現・紙屋町)で開業いたしました。
創業当時の物価はカメラ1台で家が建つといわれた時代に勇気のある開業でした。
その後写真館は主に広島の結婚式の写真を中心に撮影しておりました。カメラが珍しい時代の為、多くの人が集まれば、記念の集合写真撮影の依頼もひっきりなしで、各地に撮影に出向いていきました。

初代 太一は写真業界の確立に全力を注ぎ、日本の写真業界の為に功労し日本中走回っていました。
仕事は順調に伸びてゆき広島中の写真はすべて榎本写真館の仕事となりました。経営者としての先見の明もあり、当時には珍しい、不動産投資なども手掛けていました。

そんな折、広島には原子爆弾が投下され太一は原爆の犠牲者となりました。
その為、残念ながら写真館もすべて焼失しました。
幸い創業時につくりました、看板と花嫁椅子だけが疎開してあり、現在も姿を残しています。

2代目 榎本寿美子、隆清

2代目は太一の娘、寿美子とその養子縁組の榎本隆清の手により継がれました。
その後、結婚スタイルが結婚式場、神社での挙式という流れとなり、広島の結婚式場での撮影すべて榎本写真館で撮影させていただき、毎日結婚式の衣装が写真館に次から次へ運ばれてきました。

2代目隆清は写真技術の向上に努め非常に腕の良い写真技師でした。
当時の仕事量の多さを物語る話があります。
職場の大きな作業台の上にその日に完成させる写真が山のように積まれ、向こうが見えないほどの毎日だったそうです
写真館は住み込みで多くの弟子が生活を共にしておりました。
広島の誰もが知る写真館に成長し、結婚写真なら榎本写真館、良いところにお嫁に行きたいならお見合い写真は榎本写真館と言い伝えのようでした。

3代目 榎本栄

3代目 榎本栄は千葉大学写真工学科を卒業後、東京交通公社(現JTB)のカメラマンとなり、ファッションデザイナーの森英恵の作品撮影や、日本各地の風景写真、また時代を背景としたドキュメンタリーの撮影など日本中を撮影して回っておりました。30代のころ逆スカウトされ、カルピスのCMモデルに起用されポスターになったそうです。

その後2代目隆清が 原爆の後遺症で亡くなった為、急遽、跡継ぎの為広島に帰省しました。栄の代に現在の写真館を移転新築開業ししました。栄の写真もアメリカのローンコレクションという全米でのハイレベルの写真コンテストに入選した栄誉を持っています。栄もまた写真館業界の為に、業界の役員など一生を通じてお手伝いしており、若手の育成などにも尽力していました。

4代目 榎本有紗

現在は4代目榎本有紗が仕事に従事しており、芸能人・政財界著名人を多く顧客に持っております。
榎本有紗は業界初の女性カメラマンであり、ブライダル撮影の第一人者講師として全国各地に女性カメラマンの普及、女性の感性での写真撮影、各種セミナーで全国を講演して回り、また写真関連企業の顧問、アドバイザーとしての仕事も手がけています。

ブライダルコーディネーターという呼び名がないころから数多くの顧客からの信頼により依頼を受け、結婚式、和装・洋装の衣装コーディネート、ブーケ、写真、会場演出などすべて一括引き受けをして、ブライダルをトータルコーディネートとしてとらえて仕事をしています。
その写真は富士フィルムの雑誌の表紙をかざり、共感した、台湾、韓国、からも有紗のもとに研修に訪れています。
また広島で国体が開催された折、天皇皇后両陛下のお姿の撮影を拝命いたしました。
自身は常に高級感があり、上品、気品ある写真を撮影することを常に心がけており、イギリスの 英国王室専門、世界の皇族の写真撮影を手掛けるAnthony Buckley and constantine LimitedのAlan Shawcross氏のもとにセレブリティーな顧客写真についてのアドバイスを受けに渡英しています。

 

Photo

About us

 

住所:広島県広島市中区紙屋町1丁目5-16
TEL:082-247-3354
営業時間:平日午前9:00〜18:00、土日祝日9:30〜18:30

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